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第32回在校生論文顕彰表彰式(R4.2.28) 〜最優秀作品掲載〜

 令和4年2月28日(月)、半田高校体育館において、第32回論文顕彰事業入賞者の表彰式が行われました。

 本事業は、半田高校卒業30周年記念事業として、平成2年度から始まり、今年度で32回目を迎えることとなりました(昨年度31回はコロナ禍のため中止)。半田高校の卒業生に支えられる伝統的な事業の一つとなっています。

 この事業の主体は、柊会、PTA、卒業30周年同窓生有志の皆さんですが、半田高校第43回生を中心に実行委員会が組織されました。今年度のテーマは「多様性や世界を考慮した、わたしの暮らしと社会」に決定し、1,2年生全員と3年生の希望者に応募の呼びかけをしました。

今年度については、生徒諸君にはできるだけ電子データによって提出をしてもらいました。1年生216編、2年生159編、合計375編の応募がありました。審査については、今年度コロナ禍であることを考慮し、43回生による1次審査を新たな試みとしてオンラインで行いました(~12月4日)。次いで、2次審査を12月26日に行い、本審査対象論文を27編までに絞りました。最終の本審査は、1月23日に半田高校にて、43回生、教職員が27編すべて読み評価し、その中から厳正な審査の結果、以下のように入賞論文を決定しました。

 令和4年2月28日に開催された表彰式においては、第43回生代表工藤浩司氏から賞状及び賞品が授与されました。また、その他の応募者全員に参加賞が贈られました。

 今回の顕彰事業を担当された半田高校第43回生の皆さんを始め、ご尽力いただいた多くの方々に心から感謝申し上げます。

1 テーマ  「多様性や世界を考慮した、わたしの暮らしと社会」

2 応募総数 375編

3 入賞作品

     最優秀賞 「当たり前じゃないのかもしれない」

     優秀賞  「「無意識の差別」を乗り越えて」
          「現代の「違和感」を未来の「当り前」に」
          「共感しないが理解する、理解したから反対する」

     佳作   「多様性のある世界」
          「今求められていること」
          「「ちがい」を認めるには」
          「多様性を考慮するとは」
          「未来の暮らしの「あたりまえ」を変える」

     特別賞  「他者を尊重するために」

講評
論文顕彰を終えて
今回の論文のテーマ「多様性や世界を考慮した、わたしの暮らしと社会」について、これは、なかなか難しいテーマで、すぐに解決が導き出されることではありませんが、みなさんの論文を読むことで、私たち世代と比べて、今の若い人たちは、かなり柔軟な考えをもっていることを気づかせてくれました。ただ、少し気になる点としては、多様性=LGBTの発想に偏りがみられ、視点としての多様性が持てていないということでしょうか。この先は、人それぞれの多様性もそうですが、個人一人一人の中にも多様な視点が必要とされますので、永遠の課題として、持ち続けていただければと思います。(工藤浩司)
(柊陵第65号 第32回在校生論文顕彰事業より)

最優秀賞
当たり前じゃないのかもしれない

 3年前。テレビを見ていると信じられないニュースが目に飛び込んできた。「大学医学部の入試で女子や浪人生に対して減点する不正な得点操作が行われ、その後の調査で他の複数の大学においても同様のことが行われていたと発覚」。そのとき僕は中学1年。家庭では兄の大学入試も話題に上る頃だったので、なおさら気になったのを覚えている。性別などによる差別的な扱いが大学入試という公式な場において行われていたと知った僕は衝撃を覚えた。「あり得ない・・・」。しかも、このあり得ない事態が他の大学でもあったということは、このような性差別の感覚が「極めて異質な例外で稀なもの」ではなく、「前の時代から根深く残っているもの」であることを表している。教科書に出てくるような「女は~」という感覚が社会に未だ根付き、その精神が物事を決定する要因となることがあるという事実。僕はそこに憤りを覚えたのだ。
 世界はグローバル化により物理的距離さえ少しずつ縮まっているように思う。交通移動の時間は発展とともに短縮。コストも下がって気軽さが増している。情報のスピードは更に加速している。全世界を一瞬で駆け回る情報。中には有益なものも、フェイクニュースも混在しているが、僕たちはその中で暮らしている。しかもSNSで様々な人々が対等に情報発信できるようになっている今、多様性というものをかつてより自覚しやすい世の中になってきている。そんな時代にも関わらず、一方では先に述べたような性差別が未だ横行していることを考えると、まさに今が文化が成熟へと向かう過渡期なのだと思う。
 人は「当たり前」と思うことがそれぞれ異なる。国や文化によりそれらは多様なはずだ。この日本という一つの国だけを見ても、生きてきた時代でも違うだろうし、個々により様々だろう。前述のニュースも、世代間ギャップというのだろうか、両親は「あるだろう」と口にした。しかし、僕や兄にとっては信じられない感覚だ。「女性は~だから」という感覚がそもそもない。教科書で学んだ「かつての封建的時代の頃、女性は~」「男女共同参画社会を目指して~」やらは、とっくに過去の話だと思っていたのだ。
 しかし、父の子どもの頃の話を聞くと一世代前とは思えないような当時の「当たり前」がよく登場した。現在と同じ国とは思えないほどの違いを感じた。そしてその人と同じ時代を生きているという事実が、世代間による違いを認めて生きていかなければならない世の中だと僕に感じさせた。
 父が子どもの頃育ってきた環境と現在では全く違う。両親が努めて健全に築こうとしてきたという家庭環境は僕の「当たり前」の土台をつくってきた。僕は「男らしく」やら「男たる者」やらの性別によるあるべき姿の話をされたことがない。代わりに「人として」ということはたくさん教育を受けた。僕の両親は共働きで、家事も二人で協力して行っている。どちらが偉いとかそういう位置関係はなく対等だと思う。「女だから」「女なのに」といった台詞を聞いたことのない僕にとって、「家事は女が行うもの」などといった感覚は最初からなく、学校の勉強の中で聞いた、見たことさえない「かつての文化」なのだ。それが「当たり前」の環境で育ったことが僕の「当たり前」の感覚をつくったのだろう。自分から見たとき、前述のニュースは「当たり前」ではなかった。違和感しかなく、なぜそうなるかさえ分からない状態だった。
 改めて僕の「当たり前」を育んだ我が家を振り返ってみると、いわゆる多様性が日常に溶け込んだ生活の中にいたことに気づく。祖母は1級障がい者で、持病のリウマチにより関節各所が溶け、変形してしまっている。また、父は血管腫という大きな痣が顔面にあり、人によっては奇異に映るかもしれない。こうした環境が「当たり前」として育った僕にとって、障がいをもつ方に対して差別や偏見なく受け入れ接することなど当然なのだ。両親は学校勤務のため、時折見聞きするそうした差別を危惧していたようだが、僕自身にとってはそんな差別的な扱いをする人が本当にいるのかと驚くほど、僕にとってはありえないことだった。他にも、外国人の友達もいたが、外国人として意識したことは一度もなく、そういうものだと思ってこれもまた「当たり前」のこととして受け入れていた。外国人差別のような扱いをする人は周囲にもいなかったし、差別的に扱うなど考えられず、「本当にそんなことをする人がいるのか」と疑わしく思えてしまうほどだった。
 ところが、ニュースのような感覚が、僕自身にはなくとも未だ残っている社会であるということだろう。その人達とも共存していかなければならない。多様性を当たり前として受け入れ、尊重する世の中である必要性が益々高まっていくだろう。その中で、受け入れがたいこのような考え方に出会ったときも尊重はしていかなくてはならない。ただし、「尊重」とは「全て肯定すること」とは違うはずだ。「人間を受け止め、受け入れ、大切にすべきは大切にするが、異なり調整すべきところは話し合って結論を導く」これがグローバル化により多様性の加速する社会における「尊重」の態度だろうと思う。尊重しつつも、より成熟した個人、社会となるようにコミュニケーションのとれる人間を目指さなくてはいけないと思う。
 ところで、先ほど述べたように、育った環境によって「当たり前」が身につき、その「当たり前」がどのようなものであったかによって人の感覚は決定づけられているところが大きいと思われるが、こうした前の時代より幾分成熟して進歩した社会の中で育ってきた僕にとって、今後必要となる大きな課題があることも自覚している。
 それは、用意され与えられた環境で身につけてきた「当たり前」を、今度は与えられるのではなく、自分の手でつかみ取っていかなければいけないということだ。例えば、父のように封建的な時代に生きた「先人」が「当たり前」を思考停止して終わらせず、より成熟した考えを具現化して僕の環境として与えてきたように、今度は僕自身が自分の「当たり前」を見直し、よりよい「当たり前」を次の世代に受け渡す役割があるということ。「当たり前」を見直して、自分を「更新」し、それを「当たり前」として次の世代に渡していくことはとても難し事だと思うけれど、やらなければいけない使命だと思う。
 「当たり前」だと思っているこの僕の感覚は「当たり前」じゃないかもしれない。「当たり前」だと思っていたこの「当たり前」が用意され、与えられてきたことは「当たり前」ではなかったのかもしれない。多様性の尊重ができる成熟した社会をつくる個人であるために、若い僕のこれからできること。「当たり前」を更新していくこと。意識して生きていきたいと思う。



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