令和7年2月28日(金)、半田高校体育館において、第35回論文顕彰事業入賞者の表彰式が行われました。
本事業は、半田高校卒業30周年記念事業として、平成2年度から始まり、今年度で35回目を迎えることとなりました。半田高校の卒業生に支えられる伝統的な事業の一つとなっています。
この事業の主体は、柊会、半田高校、PTA、卒業30周年同窓生有志の皆さんです。今年度は半田高校第46回生を中心に実行委員会が組織されました。テーマは「私の天職」に決定し、1、2年生全員と3年生の希望者に応募の呼びかけをしました。
1年生149編、2年生101編、3年生2編、合計252編の応募がありました。令和7年1月12日に半田高校にて本審査が行われ、厳正な審査を経て入賞論文を決定しました。
表彰式においては、第46回生代表榊原総一郎氏から賞状及び賞品が授与されました。また、その他の応募者全員に参加賞が贈られました。
今回の論文顕彰事業を担当された半田高校第46回生の皆さんを始め、ご尽力いただいた多くの方々に心から感謝申し上げます。このホームページに、最優秀賞作品を掲載させていただきます。
<第35回在校生論文顕彰事業>
1.テーマ 「私の天職」
2.応募総数 252編
3.入賞作品
最優秀賞
日下部ここみ(1-5) 「私の人生を変えた出会い」
優秀賞
吉用万利子(2-1) 「笑顔をふやしたい」
東原 広奈(2-3) 「私が伝えていけるもの」
小栗 琉楠(2-4) 「造園技師」
佳作
小川 真矢(2-3) 「読書で人を救いたい」
青木 飛龍(2-2) 「将来の「夢」と「天職」」
加藤そらり(2-1) 「天職探し中」
杉田 和奏(1-2) 「わたしの理想の大人
松村 奏汰(2-4) 「建築業の世界を捉えなおす」
特別賞
三石 望心(2-4) 「自分の夢のために」
「私の人生を変えた出会い」 1年5組 日下部 ここみ
「人生の分岐点」はいつですか、と問われれば、私は迷いなく「七歳のとき」だと答えるだろう。社会一般的には、まだ七年しか生きていない中で人生が分岐するなど早すぎると言われるかもしれないが、私は七歳の時、運命に出会った。その出会いで、私の小さかった世界が広がり、毎日が明るく、大人になるのが待ちきれないほどの夢を持つようになった。
幼い頃から私は、動物が大好きだった。両親に犬と触れ合える場所へ連れていってもらったり、近くの野良猫を眺めたり、気が付けば動物を愛す毎日を送っていた。私の両親も動物が好きだった。私の父は競馬が趣味で、家族で競馬場へ足を運ぶこともあった。そのため姉も、馬がとても好きだった。その当時私は、競馬場へ行っても芝生の上に座るくらいで、特に興味はなかった。姉はとても楽しそうにしていたが、私は母と大人しく座っているだけだった。
私が七歳のある日、姉が乗馬に行きたいと言って、三重県の某乗馬クラブに足を運んだ。今まで競馬場でポニーなどの小さい馬に乗ることはあったが、大型馬を目の当たりにすることは初めてだったので、その迫力が衝繁的だった。その日、姉とともに私も馬に跨った。普段自分が見ている景色よりもはるかに高く、広い景色が馬上から見え、私の狭かった世界が広がった感覚がした。想像以上の高さ、そして「生き物に乗る」という心地よさに衝撃を覚えた。自分の人生ががらりと変わったあの瞬間は、今でも鮮明に覚えている。
それからの日々は、今まで馬に無関心だった日々とは取って代わって、馬を学び、馬を知り、馬と関わる毎日が始まった。馬に乗る姿勢や携わり方を学ぶために、今まで見なかった競馬も見るようになった。毎週末に乗馬も通った。家では本やインターネットで馬について学び、休日は競馬場へ家族とともに足を運んだ。七歳であった私のあの「一瞬の出来事」によって、毎日が楽しく、明るくなりどんどん馬へのめりこんでいった。毎日が新しい日々で、辛いことも悲しいことも馬とともにいることで吹き飛んだ。馬が大好きで、馬に毎日を支えてもらっていた。
物心がつくにつれて、私は競走中に怪我を負ってしまった馬や病気によって出走取消してしまった馬について気にするようになった。詳しく調べていくと、重度な怪我を負った馬は安楽死措置がとられていること、病気は酷いものだと死に至ることなどがわかった。そして、馬の死を完全になくすことは「絶対無理」と言われるほどだということも知った。今までいわゆる競馬の「綺魔な部分」しか見てこなかった私は、この現実が衝撃的で、とても悲しかった。とはいえまだ小さい自分に何ができるのだと、大好きな馬を助けられない現実が苦しかった。どうすれば私も力になれるのか、この現状を変えられるのか、毎日考えていた。
私はこの出来事から、「絶対無理」という言葉を変えたいと思うようになった。これは馬だけでなく、世の中に起こるすべてのこと、「絶対無理」と言って諦められていること、すべてのことである。可能性を信じずに途中でやめてしまっていいのか、本当に無理なのか、この「絶対無理」という言葉に抵抗を持つようになった。そして私は、「絶対無理」と言われていることに挑戦しようと思った。これが将来、馬を助けるための挑戦へと繋がると思ったからである。小学五年生の夏休みの宿題では、夏休み前に「百ページやる」と宣言し、提出日前日までかかったものの成し遂げることができた。また自由研究では五つ以上もの研究に取り組み、クラスメイトを驚かせた。このように「絶対無理」を変えるために挑戦し、成功することで得られる達成感、失敗から学ぶ反省、すべてを実感し、私には将来の夢ができた。それは、一頭でも多くの馬を助け、今まで私を助けてくれた馬へ恩返しすることである。この夢は、七歳だった私が馬に出会わなければ見つけられなかった、私の「天職」である。あの日、あの時、馬の魅力を知って、私の狭かった世界が広がった。そして数年後、悲しい現実を知ったことで「絶対無理」を変えたいという価値観が生まれた。さらにそこから、馬に携わり、恩返しをしたいという気持ちから私の「天職」を見つけた。あの人生の分岐点が無ければ生まれなかった、運命の出会い、まさに馬に携わる仕事は私の人生そのもの、「天職」である。
将来の夢を見つけた私も、すべてが上手くいったわけではなかった。馬に上手く乗れずに苦戦し、一度は馬が怖くなったこともあった。将来のために、夢を実現するために取り組んだ勉強も、理解できずに苦しむことも幾度となくあった。それでも、絶対に叶えたいという夢が、どん底に落ちたわたしをいつでも引き上げてくれた。一度決めたことはやり切りたいから、必ず夢を叶えたいから、簡単な道よりも困難な道を選択してきた。夢を信じ、途中で諦めない、一度決めたことはやり遂げるという信念が大切であるということに、苦戦を通して気づくことが出来た。
そして近年、社会が大きく動き出した。今まで明かされていなかった「競走馬の引退後の道」が公に知れ渡るとともに、引退馬支援の輪が広がるようになった。競走馬の安全のための競走時間の夕方への移行、馬行事の緩和なども行われるようになった。時代とともに、馬にも優しい社会へと変化している。十年、二十年前よりもはるかに馬が暮らしやすい環境が整っている。しかし、これらはまだ完全ではない。今日もどこかで、苦しんでいる馬がいるかもしれない、怪我で脚を痛めている馬がいるかもしれない。私はこれらの馬を一頭残らず助けたい。「一頭残らず」を「絶対無理」とは言わせない。この社会に「絶対無理」はない、ということを私が証明したい。それが今まで私を助けてくれた馬への恩返しとなったら、どれだけ良いものか。変化していく時代だからこそ、その変化を良いものにしたいし、変化に応じて挑戦する気持ちを高めていきたい。十五歳の私には、挑戦が足りていないかもしれない。困難な道に怖くて進めていないときもあるかもしれない。それでも「天職」を実現するために、挑戦を惜しまない日々を送りたい。
私は将来、必ず、一頭残らず馬を助ける。七歳で運命の出会いを迎えることが出来たからこそ、世界が広がり、絶対に叶えたい夢を見つけることができた。十五歳だから「まだ何もできない」ではなく、変化に対応して「絶対無理」をなくす挑戦をしていきたい。私の価値観を形成し、夢を与え、私の毎日を挑戦の日々に変えてくれた「馬に携わる仕事」は、まさに私の「天職」と言えるだろう。
参考文献・資料 なし
講 評
論文顕彰を終えて
「私の天職」というテーマは、自己探求や人生の選択について深く考えるきっかけになります。特に、人生の岐路に立ったときに自分自身と向き合うことは、成長や自己理解を深めるために非常に重要です。
在校生の皆さんにとって、変化の激しい時代に自分の道を見つけるのは容易ではありませんが、過去の経験を振り返ることで天職を見つける手助けになればと思い、今回のテーマを設定しました。
論文を通じて、皆さんの思い出や興味に触れ、自己分析を行う姿勢に多くの刺激を受けました。これからの人生で多くの経験を積み、心に描く未来が変わることもあるでしょうが、その過程も貴重です。皆さんが自分の道を見つけ、輝かしい未来を築くことを願っています。
ありがとうございました。
高石 環
(柊陵第68号 第35回在校生論文顕彰事業より)