Author Archives: 牧野 満@柊会HP管理人

 令和73月下旬に、半高42回生から令和74月に開校の愛知県立半田高等学校附属中学校で使用する「講演台と司会台」の寄贈があり、42回生常任幹事の山下浩城さんはじめ計4名によって納品されました。
 製作者の井土基寛さん(半高42回生・井土建設)から、木材選びには設置する体育館の壁や床に合う色であること、移動も固定もスムーズな仕組みのキャスター搭載であることなど、製作において大切にしたポイントなどをうかがいました。特に、講演台の正面にある鋳物の校章がとても立派で重厚感にあふれています。今後、附属中学校での式典や学校行事などで大活躍となりそうです。42回生のみなさん、ありがとうございました。

 補足1:42回生は、令和2年度に卒業30周年記念事業を行う予定でしたがコロナ禍であったため事業を行うことができませんでした。今回、記念品だけでも母校へ寄贈したいというあたたかい思いと申し出を受け、講演台と司会台の寄贈という運びになりました。

 補足2:井土基寛さん並びに井土建設様の「土」は、正しくは右上に点がつきます。

 令和7年228日(金)午前10時より、半田高校体育館において、令和6年度卒業生315名(第76回生)の柊会入会式が執り行われました。また、山下勇樹会長から幹事16名及び常任幹事4名に委嘱状が渡されました。

 山下会長からは、ご自分が大学1年生だった当時に東京柊会総会・懇親会に参加し、たくさんの半田高校を卒業した先輩方とつながりを持てたおかげで東京での一人暮らしも頑張れたというエピソードを紹介し、新しい一歩を踏み出す76回生に応援のメッセージと祝辞を贈り、柊会入会を歓迎しました。

 令和7年228日(金)、半田高校体育館において、第35回論文顕彰事業入賞者の表彰式が行われました。

 本事業は、半田高校卒業30周年記念事業として、平成2年度から始まり、今年度で35回目を迎えることとなりました。半田高校の卒業生に支えられる伝統的な事業の一つとなっています。

 この事業の主体は、柊会、半田高校、PTA、卒業30周年同窓生有志の皆さんです。今年度は半田高校第46回生を中心に実行委員会が組織されました。テーマは「私の天職」に決定し、12年生全員と3年生の希望者に応募の呼びかけをしました。

1年生149編、2年生101編、3年生2編、合計252編の応募がありました。令和7年112日に半田高校にて本審査が行われ、厳正な審査を経て入賞論文を決定しました。

 表彰式においては、第46回生代表榊原総一郎氏から賞状及び賞品が授与されました。また、その他の応募者全員に参加賞が贈られました。

 今回の論文顕彰事業を担当された半田高校第46回生の皆さんを始め、ご尽力いただいた多くの方々に心から感謝申し上げます。このホームページに、最優秀賞作品を掲載させていただきます。

<第35回在校生論文顕彰事業>

1.テーマ  「私の天職」

2.応募総数  252

3.入賞作品

最優秀賞
日下部ここみ(1-5) 「私の人生を変えた出会い」

優秀賞
吉用万利子(2-1) 「笑顔をふやしたい」
東原 広奈(2-3) 「私が伝えていけるもの」
小栗 琉楠(2-4) 「造園技師」

佳作
小川 真矢(2-3) 「読書で人を救いたい」
青木 飛龍(2-2) 「将来の「夢」と「天職」」
加藤そらり(2-1) 「天職探し中」
杉田 和奏(1-2) 「わたしの理想の大人
松村 奏汰(2-4) 「建築業の世界を捉えなおす」

特別賞
三石 望心(2-4) 「自分の夢のために」

最優秀賞

「私の人生を変えた出会い」   1年5組 日下部 ここみ

 「人生の分岐点」はいつですか、と問われれば、私は迷いなく「七歳のとき」だと答えるだろう。社会一般的には、まだ七年しか生きていない中で人生が分岐するなど早すぎると言われるかもしれないが、私は七歳の時、運命に出会った。その出会いで、私の小さかった世界が広がり、毎日が明るく、大人になるのが待ちきれないほどの夢を持つようになった。
 幼い頃から私は、動物が大好きだった。両親に犬と触れ合える場所へ連れていってもらったり、近くの野良猫を眺めたり、気が付けば動物を愛す毎日を送っていた。私の両親も動物が好きだった。私の父は競馬が趣味で、家族で競馬場へ足を運ぶこともあった。そのため姉も、馬がとても好きだった。その当時私は、競馬場へ行っても芝生の上に座るくらいで、特に興味はなかった。姉はとても楽しそうにしていたが、私は母と大人しく座っているだけだった。
 私が七歳のある日、姉が乗馬に行きたいと言って、三重県の某乗馬クラブに足を運んだ。今まで競馬場でポニーなどの小さい馬に乗ることはあったが、大型馬を目の当たりにすることは初めてだったので、その迫力が衝繁的だった。その日、姉とともに私も馬に跨った。普段自分が見ている景色よりもはるかに高く、広い景色が馬上から見え、私の狭かった世界が広がった感覚がした。想像以上の高さ、そして「生き物に乗る」という心地よさに衝撃を覚えた。自分の人生ががらりと変わったあの瞬間は、今でも鮮明に覚えている。
 それからの日々は、今まで馬に無関心だった日々とは取って代わって、馬を学び、馬を知り、馬と関わる毎日が始まった。馬に乗る姿勢や携わり方を学ぶために、今まで見なかった競馬も見るようになった。毎週末に乗馬も通った。家では本やインターネットで馬について学び、休日は競馬場へ家族とともに足を運んだ。七歳であった私のあの「一瞬の出来事」によって、毎日が楽しく、明るくなりどんどん馬へのめりこんでいった。毎日が新しい日々で、辛いことも悲しいことも馬とともにいることで吹き飛んだ。馬が大好きで、馬に毎日を支えてもらっていた。
 物心がつくにつれて、私は競走中に怪我を負ってしまった馬や病気によって出走取消してしまった馬について気にするようになった。詳しく調べていくと、重度な怪我を負った馬は安楽死措置がとられていること、病気は酷いものだと死に至ることなどがわかった。そして、馬の死を完全になくすことは「絶対無理」と言われるほどだということも知った。今までいわゆる競馬の「綺魔な部分」しか見てこなかった私は、この現実が衝撃的で、とても悲しかった。とはいえまだ小さい自分に何ができるのだと、大好きな馬を助けられない現実が苦しかった。どうすれば私も力になれるのか、この現状を変えられるのか、毎日考えていた。
 私はこの出来事から、「絶対無理」という言葉を変えたいと思うようになった。これは馬だけでなく、世の中に起こるすべてのこと、「絶対無理」と言って諦められていること、すべてのことである。可能性を信じずに途中でやめてしまっていいのか、本当に無理なのか、この「絶対無理」という言葉に抵抗を持つようになった。そして私は、「絶対無理」と言われていることに挑戦しようと思った。これが将来、馬を助けるための挑戦へと繋がると思ったからである。小学五年生の夏休みの宿題では、夏休み前に「百ページやる」と宣言し、提出日前日までかかったものの成し遂げることができた。また自由研究では五つ以上もの研究に取り組み、クラスメイトを驚かせた。このように「絶対無理」を変えるために挑戦し、成功することで得られる達成感、失敗から学ぶ反省、すべてを実感し、私には将来の夢ができた。それは、一頭でも多くの馬を助け、今まで私を助けてくれた馬へ恩返しすることである。この夢は、七歳だった私が馬に出会わなければ見つけられなかった、私の「天職」である。あの日、あの時、馬の魅力を知って、私の狭かった世界が広がった。そして数年後、悲しい現実を知ったことで「絶対無理」を変えたいという価値観が生まれた。さらにそこから、馬に携わり、恩返しをしたいという気持ちから私の「天職」を見つけた。あの人生の分岐点が無ければ生まれなかった、運命の出会い、まさに馬に携わる仕事は私の人生そのもの、「天職」である。
 将来の夢を見つけた私も、すべてが上手くいったわけではなかった。馬に上手く乗れずに苦戦し、一度は馬が怖くなったこともあった。将来のために、夢を実現するために取り組んだ勉強も、理解できずに苦しむことも幾度となくあった。それでも、絶対に叶えたいという夢が、どん底に落ちたわたしをいつでも引き上げてくれた。一度決めたことはやり切りたいから、必ず夢を叶えたいから、簡単な道よりも困難な道を選択してきた。夢を信じ、途中で諦めない、一度決めたことはやり遂げるという信念が大切であるということに、苦戦を通して気づくことが出来た。
 そして近年、社会が大きく動き出した。今まで明かされていなかった「競走馬の引退後の道」が公に知れ渡るとともに、引退馬支援の輪が広がるようになった。競走馬の安全のための競走時間の夕方への移行、馬行事の緩和なども行われるようになった。時代とともに、馬にも優しい社会へと変化している。十年、二十年前よりもはるかに馬が暮らしやすい環境が整っている。しかし、これらはまだ完全ではない。今日もどこかで、苦しんでいる馬がいるかもしれない、怪我で脚を痛めている馬がいるかもしれない。私はこれらの馬を一頭残らず助けたい。「一頭残らず」を「絶対無理」とは言わせない。この社会に「絶対無理」はない、ということを私が証明したい。それが今まで私を助けてくれた馬への恩返しとなったら、どれだけ良いものか。変化していく時代だからこそ、その変化を良いものにしたいし、変化に応じて挑戦する気持ちを高めていきたい。十五歳の私には、挑戦が足りていないかもしれない。困難な道に怖くて進めていないときもあるかもしれない。それでも「天職」を実現するために、挑戦を惜しまない日々を送りたい。
 私は将来、必ず、一頭残らず馬を助ける。七歳で運命の出会いを迎えることが出来たからこそ、世界が広がり、絶対に叶えたい夢を見つけることができた。十五歳だから「まだ何もできない」ではなく、変化に対応して「絶対無理」をなくす挑戦をしていきたい。私の価値観を形成し、夢を与え、私の毎日を挑戦の日々に変えてくれた「馬に携わる仕事」は、まさに私の「天職」と言えるだろう。

                               参考文献・資料 なし

講 評

論文顕彰を終えて

 「私の天職」というテーマは、自己探求や人生の選択について深く考えるきっかけになります。特に、人生の岐路に立ったときに自分自身と向き合うことは、成長や自己理解を深めるために非常に重要です。
 在校生の皆さんにとって、変化の激しい時代に自分の道を見つけるのは容易ではありませんが、過去の経験を振り返ることで天職を見つける手助けになればと思い、今回のテーマを設定しました。
 論文を通じて、皆さんの思い出や興味に触れ、自己分析を行う姿勢に多くの刺激を受けました。これからの人生で多くの経験を積み、心に描く未来が変わることもあるでしょうが、その過程も貴重です。皆さんが自分の道を見つけ、輝かしい未来を築くことを願っています。
 ありがとうございました。

 高石 環 

(柊陵第68号 第35回在校生論文顕彰事業より)

 加藤貞夫元校長が、令和7(2025)113日(月)に永眠されました。92歳でした。

 加藤貞夫先生は、昭和324月に半田高校で愛知県の教員として第一歩を踏み出され、クラス担任や生徒指導主事、教頭を務められました。平成24月には半田高等学校長に就任、特に「在校生論文顕彰事業」の立上げに12回生様と一緒に尽力されました。

 心より哀悼の意を表するとともに、皆さまに謹んでお知らせ申し上げます。

 ※葬儀はすでに執り行われております。

 こちらに、令和2年(2020年)に叙勲を受けられた際の記事を紹介いたします。

 柊会東北支部「総会・懇親会」が開催(128日)されました。

 糟谷昌志支部長(37回生)のもと、愛知より山下勇樹柊会会長(30回生)をお迎えして、仙台のホテル白萩にて開催されました。
 出席者は8名ですが、今回も少人数だからこその和やかな語らいになりました。
東北在住卒業生、上は15回生(79歳)から下は61回生(33歳)まで、世代を超えた親睦の場となり、母校とふるさとの知多半島を偲びながら、有意義で楽しいひとときとなりました。
 昨年同様に対面開催となり、再会の喜びや近況の語らいで盛り上がりました。
 出席者数はまだ少ないですが、欠席のご連絡をして下さった方が増加するなど、着実に東北支部の人脈・連携が充実してきております。
 今回ご欠席の方も、ぜひ来年、年代・性別を問わず、母校を同じくするもの同士の忌憚のない和やかな友好のひとときを共に過ごせたら幸いです。

                               (文責)                              
                                柊会 東北支部
                                幹事 早川公康(42回生)

241208121058357

 令和6年11月26日(火)午後1時半から七中記念館で「法曹と語る会」が開催されました。本会は、愛知県弁護士会半田支部の協力を得て、「弁護士と語る会」から通算して26回目となります。今年度は、弁護士9名(うち東京から1名)、裁判官1名、検察官2名をお招きし(うち本校卒業生9名)、在校生20名が参加して行われました。

 法曹の皆さまからの自己紹介で始まりました。ある弁護士からは、高校生の頃「法曹と語る会」に参加し、自分の進路選択に大きな影響があったというお話もありました。

 前半は少人数でのグループトークを行い、なぜ法曹を目指したのか、どのような人が法曹に向いているか、職務の内容など生徒から多くの質問について一つずつ丁寧にお答えをいただきました。

 後半は、全体での懇談会。生徒からは前半のグループトークで聞くことのできなかった質問が出ていました。「一日のスケジュールは?」「心残りのある案件は?」「感情移入について」「朝日訴訟について」など、テーマは多岐に渡りました。中には、「出会いはありますか?」という率直な質問もあり、丁寧に回答いただきました。終了し解散となった後、帰ろうとする弁護士をつかまえてさらに質問している光景もありました。

 普段知ることの出来ない法曹の世界に触れて生徒達にとって楽しく実りのある有意義な機会となったことと思います。

 

 令和6年8月24日、東京大手町の経団連会館ホールで、「第15回東京柊会総会・懇親会」が開催されました。
 今回は、当日に飛び入りで参加された方も含めて284名の同窓生が出席されました。
 総会では、榊原定征会長(半高12回生)からご挨拶をいただき、議事として、第14回総会・懇親会の会計報告の後、役員人事として榊原会長(留任)以下11名の役員等が新たに選出されました。
 総会終了後は直ちに懇親会に入り、1回生の居林次雄さんのご発声で乾杯をした後にあちらこちらでにぎやかな懇談の輪が広がりました。
 本部からは山下勇樹会長(半高30回生)からご挨拶をいただき、林原健二半田高校校長、齋藤典久前校長から半田高校の最近の状況などをご報告いただきました。さらに、地方行政でご活躍になっている日高輝夫東浦町長(半高44回生)、神谷俊一千葉市長(半高43回生)から近況が報告され、また長年にわたり半高生を指導してきていただいた加藤貞夫先生に我々を励ますお話をしていただきました。
 懇談が進み、世代を超えた一体感が感じられる雰囲気の中で半田高校の校歌を斉唱し、最後に山脇 康副会長(半高17回生)に閉会のご挨拶をいただき、全員で写真撮影を行って、お開きとなりました。
 6年ぶりにお会いしたのですがその空白の時間をあっという間に埋めてしまうようにお話の輪が広がり、多くの皆さんが「楽しい時間を過ごすことができた。また会いましょう。」と声を掛け合っていらっしゃいました。
 次回は3年後の令和9年に開催の予定です。今回参加していただきました方はもちろん、興味を持っていただいた方も、ぜひ参加していただき、会場でお会いすることができます事を楽しみにしています。

 令和6817日、「第23回柊会総会・懇親会」が開催されました。

 6年ぶりとなる総会・懇親会は、実行委員として半高43回生、44回生、45回生を中心に、40回生、41回生、42回生の皆さんにもご協力いただいての開催となりました。事前の申込は約200名。直前の宮崎県沖の地震や前日の台風接近がありましたが、当日は181名の参加者となりました。

 まずは総会の開催です。役員改選、規約の一部改正、この2つの議案を承認いただきました。報告事項として、七中記念館の国登録有形文化財建造物登録プレートについて、図書振興基金の設立について説明がありました。その後に林原校長先生から中高一貫について概要説明や工事進捗状況についてスライドを使用してご紹介くださいました。記憶にある半田高校の景色が変わっていることに、参加者の皆さんも驚いている様子でした。
 また東京柊会を代表して、神谷美保様(半高44回生)よりご挨拶と報告を頂戴いたしました。同じく、柊会東北支部長の糟谷昌志様(半高37回生)からのご挨拶と報告を代読させていただきました。神谷様、糟谷様、ありがとうございました。

 総会終了後は懇親会です。皆さん学年を超えた交流を楽しんでいました。部活、仕事、お住まいの地域などの共通の繋がりで懐かしい思い出話や同窓生の活躍などの話題で歓談されていました。また、新たな出会いが生まれた人も多く、貴重な場になったのではないでしょうか。
 アトラクションとして、太神楽曲芸師として活躍されている北岡さん(半高44回生)による「福を呼び込む予祝芸~宝来家幸輝の太神楽~」がありました。和傘の上でいろいろな物を回したり、口にくわえたバチの上で土瓶を操ったり、澤田元校長も参加して曲芸を披露したりと、伝統芸能に感動しながら会場は大いに盛り上がりました。
 加藤貞夫元校長からもご挨拶を頂戴し、私たちに元気とエールを届けてくれました。
 最後は校歌斉唱、「あさあけの~」と半田高校校歌を歌える喜びをかみしめながら閉会となりました。

 総会・懇親会において配慮の至らない部分も多く、ご面倒をおかけしたかと思います、この場を借りてお詫び申し上げます。

 次回は3年後の令和9年に、半高46回生、47回生、48回生が実行委員会の中心となって開催される予定となっております。今回参加して下さった方はもちろん、興味を持たれた方は是非、次回の総会懇親会へお気軽にご参加下さい。

山下会長 挨拶林原校長 挨拶
アトラクション 宝来家幸輝さんによる太神楽
澤田元校長も太神楽挑戦加藤元校長 挨拶
集合写真

 

令和6年229日(木)午前10時より、半田高校体育館において、令和5年度卒業生311名(第75回生)の柊会入会式が執り行われ、山下勇樹会長から幹事16名及び常任幹事4名に委嘱状が渡されました。

 山下会長からは、75回生に応援のメッセージと祝辞、柊会入会を歓迎する挨拶がありました。

 令和6年229日(木)、半田高校体育館において、第34回論文顕彰事業入賞者の表彰式が行われました。

 本事業は、半田高校卒業30周年記念事業として、平成2年度から始まり、今年度で34回目を迎えることとなりました。半田高校の卒業生に支えられる伝統的な事業の一つとなっています。
 この事業の主体は、柊会、半田高校、PTA、卒業30周年同窓生有志の皆さんです。今年度は半田高校第45回生を中心に実行委員会が組織されました。テーマは「あなたの第一歩」に決定し、12年生全員と3年生の希望者に応募の呼びかけをしました。「実際に自分で行動したことを必ず盛り込むこと」という条件が課されています。
 1年生2編、2年生197編、3年生2編、合計201編の応募がありました。令和6121日に半田高校にて本審査が行われました。厳正な審査を経て入賞論文を決定しました。

令和6年229日に開催された表彰式においては、第45回生代表青木倫子氏から賞状及び賞品が授与されました。また、その他の応募者全員に参加賞が贈られました。
 今回の顕彰事業を担当された半田高校第45回生の皆さんを始め、ご尽力いただいた多くの方々に心から感謝申し上げます。

<第34回在校生論文顕彰事業>

1テーマ  「あなたの第一歩」

2応募総数  196

3入賞作品

最優秀賞  「住み続けたいまちづくり―学生の私でもできることー」
優秀賞   「地元のためにできること」
      「亀崎に古民家カフェ通りを作る」
      「わたしの第一歩」
佳作    「アグピー号の問題点と解決案および私の行動」
      「りんくう海浜緑地における水質改善活動に関する中間報告」
      「声を上げれば、きっと届く」
      「今の自分にできる地域への貢献」
      「地域のための私の第一歩」
特別賞   「環境問題に向けて個人ができること」

 

最優秀賞

住み続けたいまちづくり ―学生の私でもできること-

「私はSDGs11番「住み続けられるまちづくりを」に着目し、半田市に人を呼び込むことを目的にクラシティという施設をどうにか利用できないかと考えました。
 まず、半田市とクラシティについての説明をします。半田市は総人口117,385(令和58月現在)、愛知県尾張地方にある市です。半田運河や赤レンガ倉庫といったその地を代表するものはあるものの、なかなか若い世代の人たちには刺さらず総人口は減少し続けており(1)、都市部への人口流出も見られます。私たちのような10 20代の若い世代が半田市に住みたい、住み続けたいと思うことができるように何か一つ集客を見込める飲食店などがあれば、SNSで発信することで若い世代から広まり半田市の名前が多くの人に届くのではないかと考えました。そこで私が考えたのが、クラシティの活用です。クラシティは知多半田駅から直通の連絡通路があり、複合商業施設、市営駐車場、分譲マンションなどで構成されています。5年前に「食」をテーマにリニューアルされ、現在も日々進化しています。この施設にはカフェや和菓子専門店などが入っており、のちに詳しく述べますが駅や高校も近いことから、ここを集客の場としたいと考えました。
 私がこの施設を知ったのは同級生のお母さんが働いていたことがきっかけで、そのつながりを元にクラシティで働く人や半田市役所の職員の方々から話を聞けるよう取り付けていただき、より詳しくクラシティの現状を調査しました。その結果、クラシティでは課題として近くに半田商業高校があるにも関わらず学生の往来が少ない、近くにあった商店街や半田市民病院がなくなり活気がなくなってしまった、クラシティについての情報をうまく広げられず知名度が低いなどの問題があるとわかりました。この事から、情報発信に積極的な若い年代の人(特に学生)にクラシティに立ち寄ってもらいたいと考え、若い世代にアピールするなら若い人の意見を取り入れたものにしたいということで、この施設の一階にある珈琲をメインに販売しているココチヤコーヒーというカフェの方からお声掛けいただき、共同メニューの制作がはじまりました。
 そこでまず学生に人気なデザート、飲み物について私や店員さんだけでは偏った意見になる可能性があったので店員さんと質問内容を考え、半田高校の2年生にアンケートを取りました。図2のとおり「買うなら」という質問には7割以上がドリンクと回答しています。高校生のお小遣いは平均5,000円くらいだそうで、その中から趣味などほかにも費やすことを考えると手軽に買える飲み物を選ぶ人が多くなるのかなと感じました。また「頼むなら」という質問には約半分の人がキャラメルフレーバーの生クリームが入ったドリンクと回答しており、これはスターバックスのメニューを想像した人が多かったからではないかと思います。
 これらの結果と分析をもとに、927日第一回共同メニュー制作会議を行いました。アンケートから共同メニューはドリンクに、ハロウィンが控えていたこともありキモカワ路線でデザイン案を練ってみるなど大まかなことを決定しました。また、「コーヒーが好きか?」という質問では半分ちょっとの人が嫌いもしくは苦手と答え、好きと回答した人でも6割の人がよく飲むのはカフェオレと回答しました。(図3)少し甘いくらいが学生にはあっているのかもしれません。そういったことを参考に、1013日第二回共同メニュー制作会議をしました。アンケートでは甘いものが好きな人が多かったため甘党をターゲットとし、コーヒー系統のメニュー以外をというテーマの新作がすでに出ていたので甘めのコーヒーもしくはコーヒー牛乳をベースにしたフロートに案を固めました。そして1024日には会議で決まったことをもとに試作案2つを実際に試しました。

①キャラメルソースとバニラアイス二つ並べるスイーツ
②コーヒーフロート(コーヒー牛乳ベース)

①は溶けてしまったり見栄えが思い通りにならなかったりすることから試作を繰り返すこととし、②の案で何度か試作を重ねました。(図4)さらに商品の値段設定を、アンケート結果をもとに行いました。まず「あなたが飲み物を注文するときに買おうと思える金額はどのくらいか」という質問ではそれぞれ20数パーセントずつくらいの回答で、最も多かったのは400500円となりました。(図5)そこになるべく値段を近づけつつ、原価などについて店長さんと相談した結果、商品価格は600円に定めました。また「どの媒体で商品を知りますか?」という質問には知人からの口コミと答える人も多くいましたが、25%の人は Instagramを挙げていました。図6Instagramの国内利用者数を年代ごとに示したものです。最も新しいデータだけでも日本人人口の4分の一が利用していることになります。また商品を購入するときにSNSを参考にしているのは図7のグラフから見ても10代から20代であり、これらのことから彼らに少しでも届けられるようInstagramを活用した宣伝をしたいと考えました。そこで、このメニューの写真をInstagramに投稿した画面を見せると50円返金というサービスをすることになりました。
 こうしてできたのが「コーヒーみるくん」です。コーヒー牛乳ベースのフロートで、お目目はクッキーとコーヒー豆チョコでできています。かわいさもおいしさも最大限詰め込みました。昨年11月から一か月ほど期間限定ですが、実際に販売させていただきました。売り上げはまずまずで大盛況とはいえませんでしたが、やりきった達成感はいっぱいでした。
 今回私はクラシティ活性化のために若い世代を呼び込もうとココチヤコーヒーさんと共同メニューを制作しました。また、実際に半田高校1年生にアンケートを取ったり、SNSでの影響などを考えてInstagramの活用方法を考えました。反省点は、主に半田市やクラシティの活性化としての解決策をすぐに一つに絞ってしまったこと、容器などにまでこだわりぬくことができなかったこと、ココチヤコーヒーにしかない突出した部分をつくれなかったことです。お声がけいただいたことに夢中になりすぎて、周辺の店舗などまで調べることができなかったのでより多角的な視点でみることができていたらよかったなと思います。ほかにも細かいところで改善点がたくさん見つかったので、これからの活動では視野を狭めないよう今回のことを生かしていきたいと思います。

講 評

論文顕彰を終えて

 地域のカフェ、地元の海、古民家、祭り。世の中をよりよくしたいという思いが詰まった、「第一歩」の足跡を読ませていただきました。社会に影響を与える大きな一歩、自分自身の成長につながる一歩と、バラエティーに富んでいました。
 論文執筆にあたり、ネット情報を集めるだけでは実感できない現実の難しさ、面白さにぶつかってくれたならうれしいです。これに懲りずに、一歩ずつ前進していってください。
 今回、審査員として集まった我々45回生の中には、みなさんの「第一歩」に触発され、自分の次の「一歩」をどう踏み出すかを考える人もいました。私たちもいい刺激をいただきました。
 ありがとうございました。(尾之内 潤)

(柊陵第67号 第34回在校生論文顕彰事業より)