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七中記念館(旧武道場)改修工事の記録

1 七中記念館(旧武道場)の沿革

大正7 (1918) 年11月愛知県立第七中学校の設立認可。
大正8 (1919) 年4月愛知県立第七中学校の開校。
大正11 (1922) 年5月校名を愛知県半田中学校と改称。
大正13 (1924) 年3月武道場竣工、開校から5年にして校舎全体が完成。
昭和26 (1951) 年12月武道場を改修し、図書館として利用。
昭和32 (1957) 年11月新図書館の完成に伴い、正規の授業やクラブ活動に利用。
昭和54 (1979) 年3月新武道場の完成に伴い、旧武道場となる。
昭和54 (1979) 年11月創立記念事業の一環として、旧武道場を改修し、愛知県立第七中学校を記念して「七中記念館」と命名。
平成16 (2004) 年 4月耐震性の観点から利用を停止。
平成30 (2018) 年10月100周年記念事業の一環として、耐震改修をするとともに、プレゼンテーションやアクティブラーニング型授業のできる未来型の教室に生まれ変わらせた。

2 改修工事の記録
(1) 旧武道場の概要
 ・構造:壁式鉄筋コンクリート造平屋建て、木造トラス
 ・建築面積:277.33㎡
 ・延べ面積:275.03㎡
 ・軒高:4.61m
 ・竣工年月:大正13 (1924) 年3月
 ・設計者:愛知県内務部営繕課(当時)

(2) 建物の特徴
 ・愛知県内に現存する旧制中学校の鉄筋コンクリート造の武道場としては、最古のもの。同時期のものとして、岡崎師範学校武道場(大正15年建築、平成25年国の登録有形文化財に指定)と西尾中学校武道場(昭和4年建築)がある。いずれも基礎と壁体が鉄筋コンクリート造、小屋組は木材と丸綱の混合トラス構造、屋根はあさ瓦葺きとなっており、当時は側鉄筋コンクリート造と呼ばれていた。
 ・妻壁に盲連子窓を採用し、外側に浮き出た柱壁と屋根瓦とが相まって、鉄筋コンクリート造の建物であるが、真壁造りの印象を与え、和風的な意匠を感じさせる。
 ・一方、妻壁の柱壁の頭部には、縦と横の直線からなる簡易な飾りを置き、さらに、その飾りが建物の回りを一周するように配置されている。また、柱壁とは別にコンクリート製の竪樋が東西の壁面に2箇所ずつ取り付いて、直線的なデザインを強調している。これらから、大正から昭和にかけて流行したアール・デコ様式の影響が見てとることができ、洋風形式と和風形式による装飾をバランスよく配置している点からも、貴重な建物である。
 ・今回の改修の過程で、天井を外したところ、木材と丸綱を組み合わせた小屋組が現れた。建築当時は、同時期の他の武道場から判断して、天井はなかったものと思われることから、当初の開放感あふれる空間を再現することとした。

(3)改修工事の概要
 ・耐震診断を実施した結果、学校施設として求められる十分な耐震性能を満たしていなかった。今後、生徒が授業等で利用する建物となるため、耐震改修工事を行い必要な耐震性能を確保するようにした。
 ・改修方針としては、現在の外観を維持し、耐震性能を確保するため、妻壁の屋内側に新しく鉄筋コンクリート造の耐震壁(厚さ200mm)を造り壁量を増やす。また、新しく鉄骨梁及び水平ブレースを設置することにより屋根面の剛性を高め、建物全体で地震力に耐える構造体とする。これにより、外観への影響を最小限とし、かつ、必要な耐震性能を確保する計画とした。なお、この計画の妥当性については、公的な第三者機関の評定を取得する必要があるため、一般社団法人愛知県建築住宅センターに耐震改修計画評定の申請を行った。その結果、この計画が関連する諸基準・規定に適合している旨の「耐震改修評定書」を平成28年8月29日付けで取得した。
 ・一方、プレゼンテーションやアクティブラーニング型授業が行えるIT環境を確保するため、200インチのスクリーン、校内LANとの接続、遮光カーテン等を整備するとともに、快適な教育環境の確保のため、ペンダント型LED照明、冷暖房設備、換気扇、アルミサッシ窓枠・網戸を設置した。
 ・なお、90余年の歴史的建造物であることに敬意を表し、その価値を後世に伝えるため、西側正面玄関の土間の両脇の窓については、腐食による補修を行うに留めて、そのまま維持することとした。さらに、床下換気口の飾りについては、柊陵会館に保存されていた愛知県立第七中学校校舎の換気口を再生した。

(4)工事関係者等
 ・発注者:半田高等学校100周年記念事業実行委員会
 ・設計・監理者:株式会社岩崎設計事務所
 ・請負者:岩部建設株式会社
 ・工期:平成30年3月10日から同年10月15日



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