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半田高校七中記念館(旧武道場)について

2016年 4月 1日
名古屋市立大学名誉教授
瀬 口 哲 夫

1 旧制中学校から新制半田高等学校へ
 愛知県立半田高等学校の前身である愛知県立第七中学校は、大正7年11月2日に設立認可されたのを受けて、翌大正8年4月1日に開校された。さらに、大正11年4月25日愛知県告示(第212号)により、県立中学校、高等女学校及び実業高校の名称が、大正11年5月1日より変更されることになったことから、愛知県立第七中学校から愛知県半田中学校と校名が変更されることになった。
 昭和23年4月1日、戦後の教育改革により愛知県立半田高等学校となり、現在に至っている。
 以下、本文では、愛知県立半田高等学校ではなく、開校時の校舎が出来た時期の愛知県半田中学校として話を進めたい。他の学校についても同様に旧制時の名称を用いることとする。

2 愛知県半田中学校校舎の建築
 第七中学校の校舎は、半田市柊及び西ノ口(現在の出口町1の30)の校地(約1万5千坪)において、大正8年1月に起工され、まず、大正9年6月に2棟が竣工した。同年7月に仮校舎(注1)から新校舎への移転が始まっている。大正9年度には、教室棟2棟と生徒控室兼体操場が竣成している。「愛知県立半田高等学校誌」(文1)掲載の図は、大正9年度時点での新校舎配置図を示したものであるが、これによると、翌年の大正10年度に、教室棟2棟と寄宿舎2棟が竣成。大正11年度に本館、大正12年度に講堂と倉庫が竣成する予定とある(文2)。しかし、この配置図には、武道場が書かれていない。つまり、この段階では武道場は計画されていなかったと考えられる。しかし、武道場に関しては、当時の「鈴木(周作)前校長以来非常な尽力で増設された武道場1棟竣工」(文3)とあるように、武道場増設運動が繰り広げられたようで、その結果、大正13年3月10日、武道場が新築された(文4)とある。
 大正13年11月12日、愛知県半田中学校校舎の落成式が行われているが、この時の様子は、同窓会誌「柊陵第4号」に記載されている。即ち、「年を閲すること前後6年、経費を投じること実に312,0588円、敷地総面積15,000坪、建坪1,959坪余から成る我が半田中学校は、茲にその工を竣へ・・・」(文5)とある。落成式までには、新校舎配置図(1920年)にある本館、教室、生徒控室兼体操場、講堂、寄宿舎、倉庫、小使室と、その後、追加された武道場や弓道場が完成したことになる。
 愛知県半田中学校校舎の設計は、愛知県営繕課で、その担当は足立武郎(1892~1933)技師(文6)とされる。施工は、地元半田の土井組(土井新太郎)と伝えられる。足立武郎の設計としては、和風要素の強い昭和塾堂(昭和4年、名古屋市内に現存)などがある。
 愛知県立の旧制中学校(高等女学校や実業高校などを含む。)校舎は、大正期に入ってから鉄筋コンクリート造に建て替えられることになる。その内、半田中学校(県立第七中学校)と津島中学校(県立第三中学校)では、早くも大正9(1920)年にRC造校舎の一部が完成しており、最も早いものに属するといえる。

3 半田中学校校舎のその後
 戦後の昭和23年4月、新制の愛知県立半田高等学校が発足する。昭和32年11月、新しい図書館が落成したが、以後、昭和40年代から50年代にかけて、新校舎が建築されていく。講堂兼体育館(昭和40年6月)、定時制課程(昼間)校舎(昭和46年1月)、新校舎第三棟(昭和46年3月)、新校舎第二棟(昭和48年3月)、新本館(昭和50年2月)、武道場と定時制体育館(昭和54年3月)などである。これに伴い、創設期(大正期)に建築された校舎は、昭和40年代以降、次々に取り壊されていった。その結果、当時の校舎として、旧武道場(七中記念館)のみとなってしまった(文7)。

4 半田中学校武道場
 半田中学校武道場は、大正13年3月10日に建築された。大正13年5月25日(日)、完成を祝して、武道場開きが行われている。この時、剣道と柔道の紅白試合や真剣模範試合が執り行われている。このことから、武道場は、剣道と柔道が行われる空間として完成したと考えられる(注2)。
 愛知県半田中学校は、校地の東側に運動場、西側に校舎群(RC造)を配置するもので、正門は校地南側にあった。正門を入ると前庭を経て、中央に本館があり、本館左手(西側)に講堂を配す。教室棟(4棟)を平行配置し、本館及び教室棟を廊下で結ぶ。教室棟の北側に、2棟の寄宿舎(木造)を配す。4棟の教室棟の東側の運動場との間に、武道場と生徒控室兼体操場が南北に並ぶ。生徒控室兼体操場は、運動場の方に正面を向けているが、武道場は、運動場とは反対の教室棟の方が正面になっていた。
 建物としての武道場は、桟瓦葺き、半切妻屋根(玄関は切妻屋根)、平屋建てで、壁体と基礎はRC造の「側鉄筋コンクリート造」である。小屋組は木と丸綱の混合トラス構造。
 武道場平面は、長方形(梁間10.91m、桁行23.6m)で、西側に玄関部分(2.73m×4.55m)が取り付く。床面積は271.07㎡(約82坪)(文8)、天井高さは、約3.66m(実測)となっている。

5 半田中学校武道場のその後
 戦後、旧半田中学校の武道場は、図書館として使われたこともあったそうだが、昭和32年に新しい図書館が建築されたことから、再び武道場として使われるようになるが、昭和54年に新しい武道場が建築されたため、今度は、卓球場として使用されるなど、その度ごとに旧武道場の使い方が変更されている。現在は、七中記念館として、旧武道場の北側半分に、資料展示ケースなどが置かれている。
 昭和54年、旧武道場の床張り替えや瓦葺き替えなどが行われている。こうした部分的な改修が行われているものの、外観及び内部ともに、旧状を比較的良く保っている。

6 半田中学校武道場(現・半田高校七中記念館)の評価
(1)愛知県立中学校での武道場
  愛知県立高校での前身である旧制中学校において、明治中期から剣道・柔道が正課に採り入れられたようで、県立第一中学校(現在の県立旭丘高校)では、明治26年、学友会の競技 部の一つとして剣道・柔道が入ったとある。その後の明治37年頃から剣道と柔道の寒稽古が始められたという。明治40年から明治43年にかけて、名古屋市内の西二葉町の移転先校地に おいて、本館、講堂、控室、教室棟、道場(講武場)などの第一中学校校舎が整備された。第一中学校では、明治42年から武道が正課に採用されている(文10)。
  西二葉町に造られた講武場は、教室棟の北側にあり、桟瓦葺き、寄棟造り、木造平屋建てで、2か所の出入口がある。校舎の見取り図で、道場と表記されているが、講武場の内部は 、2つに仕切られていることがわかる。「北半分が撃剣場で南半分は柔道の道場で、講道館を模して地下に甕を埋めて、反響を呼ぶように、また床はバネで弾力をつけるなど最高の設 備がほどこされ、中学校の道場としては超一流のものであった。」「広さは7,80畳敷」とある(文11)。しかし、後に、剣道が他の建物に移動したため、講武場は、柔道の 専用道場になったという。講道館を模したとしていることから、講武場は天井が張られていたと思われる。
  津島中学校(現在の津島高校)の場合、明治37年に柔道部が創設され、明治40年に武道が正課となっている。大正9年に火事で校舎が焼失したため、大正12年、RC造で新校舎が再建され たが、その時、武道場も再建されている。
  当時の柔剣道の大会についてみると、大正4年、四高主催の全国中学校の柔道大会が開催されている。昭和初期になると、柔剣道大会も増えたようで、昭和2年には八高大会、昭和4年 には第1回市民武道大会、昭和5年には県下中等学校有志の大会などが開催され、中等学校での武道が盛んになってきたようである。
  こうした状況の中で、半田中学校の武道場の建築が要望され、実現したことになる。当然、従来からの武道場の経験を活かし、近代の建築技術を採用した武道場として造られたと考 えられる。

(2)大正期の旧制中学校の武道場/側鉄筋コンクリート造
  大正期には、県立の岡崎中学校(第二中学校)、津島中学校(第三中学校)、一宮中学校(第六中学校)、半田中学校(第七中学校)、刈谷中学校(第八中学校)などの校舎がRC造 で建て替えられた。昭和初期には、県立の小牧中学校、惟信中学校、豊橋第二中学校、西尾中学校、明倫中学校、第一中学校で、RC造校舎が造られた。
  大正期以降のRC造校舎は、基礎と壁体がRC造で、小屋組はトラス構造、屋根は桟瓦で仕上げるというものが基本であったようで、側鉄筋コンクリート造と呼ばれている。その後、全 鉄筋コンクリート造校舎が登場することになる。
  いずれにしろ、上記の県立学校の中で、戦前のRC造(側鉄筋コンクリート造を含む。)の武道場を建築したと確認できたのは、津島中学校、一宮中学校、半田中学校、刈谷中学校、 小牧中学校、西尾中学校、第一中学校で、この他に、岡崎師範学校(第二師範学校)、県商業高校などがある。これらの武道場のうち、現存するのは、半田中学校(現半田高校)、西 尾中学校(現西尾高校)、岡崎師範学校(現愛知教育大学附属養護学校が使用)の3武道場である。この3つの武道場は、勾配屋根、平屋建て、側鉄筋コンクリート造である。半田中学 校と西尾中学校の武道場は、桟瓦葺きであるが、岡崎師範学校武道場は、現在、鉄板瓦棒となっている。

半田中学校IMG_4967
西側の正面玄関
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南側
岡崎師範学校IMG_5024
西側の正面玄関
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南側
西尾中学校IMG_5178
南側の正面玄関
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東側



(3)半田中学校武道場/RC造武道場の比較
  旧愛知県中学校等の武道場(RC造)で現存する3つのうち、半田中学校武道場は大正13年3月、岡崎師範学校武道場は大正15年2月(文12)、西尾中学校武道場は昭和4年3月の建築なの で、半田中学校(現半田高校)の武道場が一番古いことになる。
  とはいうものの、これら3つの武道場は、建築時期が大正期から昭和初期とほぼ同じということもあり、計画上も意匠上も類似しているところが少なくない。以下、その異同について 述べる。
  まず、3つの学校の校舎配置であるが、半田中学校と西尾中学校の場合、東側を運動場、西側を校舎群とするところは、この時代の学校配置として基本的なもので、同じものとなって いる。しかし、岡崎師範学校の場合、東側に寄宿舎、南側に校舎群、北側に運動場が配置されている(文13)。
  このうち、武道場の向きについては、半田中学校と岡崎師範学校の武道場は南北軸で、西尾中学校の武道場は東西軸となっている。
  現在の考えでは、採光と通風を考え、体育館の配置は、長軸を東西方向とする方が良いとされているが、この視点でみると、昭和初期に建築された西尾中学校武道場は、長軸を東西 軸としており、採光と通風上の利点があるといえよう。
  次に、武道場の外観であるが、勾配屋根、半切妻屋根、平屋建て、側鉄筋コンクリート造であることは共通している。さらに、西尾中学校と岡崎師範学校の場合、柱型を外側に出し ていること、外側に出した柱頭に簡約化した装飾を入れ、柱頭飾りとしていることなどが同じである。半田中学校の場合、柱と壁との区別がなく、柱壁といえるものである。柱壁の途 中には、他の2校と同様に簡略化した装飾が付けられているなど、共通している部分が多い。しかし、玄関部が異なるとか、柱頭の飾りの意匠など、細部に違いがある。
  武道場の内部空間については、いずれも、室内に柱型を出さす、凹凸のない空間としている。武道場は、細長い短形空間で、その上部に採光用の引違い硝子窓があるところなどは共 通している。
  トラス構造としては、木造トラス、鉄骨トラスなどがあるが、半田中学校武道場のトラス構造は、合掌、方杖などが木造であること、これに対して、束と梁は、丸綱2本組にしたもの であるが、ブレースは1本の丸綱を交差させたものとなっている。また、束と梁の合わさる部分には、円形の金具を用い、短冊金物やボルトで緊締している。このように半田中学校武道 場のトラスは、木と丸綱の混合トラス構造である。このトラス構造の下部に天井板が張られている。天井の取付け方を見ると、水平ブレースや梁の上に縦横に丸太を渡し、その丸太や 合掌などから吊り木を下げ、天井を吊り下げている。
この混合トラスト構造は、半田中学校、岡崎師範学校、西尾中学校の武道場で共通である。しかし、半田中学校武道場が、他の2つの武道場と異なるのは、トラス構造の下に天井があ ることである。このため、現在の天井裏からのぞくと、半田中学校武道場の場合は、トラス部材に塗装されていないが、他の2つの武道場のトラス部材は、下から直接見えるということ もあり、塗装されている。壁の仕上げについてみると、半田中学校の武道場の場合、天井下の壁だけでなく、天井下から見えない、壁上端まで仕上げられている。
  半田中学校の武道場に天井がある(注3)ことは、伝統的な形式(注4)を残しているということができる。
  天井が張っていない岡崎師範学校と西尾中学校の武道場は、天井がない分だけ、上部空間が視覚的に広がっているとともに、スレンダーな鋼材を使用したトラス構造に、リズム感の ある美しさがある。
  古写真などで見る限りでは、刈谷中学校(大正11年~大正13年)や県商業高校(大正13年落成)の武道場もほぼ同じ構成と構造となっているようである。
  次に、3つの武道場の面積を比較すると、西尾中学校武道場の床面積が約449.58㎡で、一番大きい。次いで、岡崎師範学校で約424㎡、半田中学校の武道場が一番小さく、約271.07㎡ 。つまり、半田中学校武道場の面積は、一番大きい西尾中学校武道場の面積の約6割である。
  武道場の道場部分(玄関部分を除く。)を比較すると、西尾中学校武道場は、14.82m×29.38m、岡崎師範学校のそれは14.56m×29.12mで、ほぼ同じであるのに対して、半田中学校の 武道場は、10.91m×23.64mで、半田中学校武道場の梁間は、他の2つの武道場の梁間の約7割しかなく、一番狭いことがわかる(注5)。
  開口部については、周囲に引違い窓を回し、自然採光するという点は同じであるが、半田中学校と岡崎師範学校の武道場の場合、四方の壁面に引違い窓があるが、西尾中学校武道場 の場合、西側壁面には開口部がない。
  以上から、半田中学校武道場は、長軸を南北方向にしていること、天井があることなどから、伝統的な武道場の形式を引き継いだものといえる。その意味で、従来からの明治期まで の武道場(木造)から大正後期から登場する新しい武道場(RC造)へと移行する中間的な姿を示しているといえ、建築的な変遷を示す、重要な意味を持つ建物である。

【3武道場の概要】

項目半田中学校岡崎師範学校西尾中学校
1竣工年月大正13年3月大正15年2月昭和4年3月
2面積約271.07㎡約424㎡約449.58㎡
3道場の縦×横10.91m×23.64m14.56m×29.12m14.82m×29.38m
4長形の軸南北軸南北軸東西軸
5外観勾配屋根、半切妻屋根、平屋建て、側鉄筋コンクリート造
6トラス構造木材と丸綱の混合トラス構造
7天井の有無有り無し無し
8開口部四方四方三方(西側なし)
9正面玄関西側西側南側

 

半田中学校IMG_4997
南側
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東側
岡崎師範学校IMG_5017
南側
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通風口
西尾中学校IMG_5076
南側

北側



(4)半田中学校武道場の意匠的特徴
  明治28年に大日本武徳会が設立され、全国に武徳会支部が設立された。各武徳会支部は、和風木造の武徳殿を造ったところが多い。名古屋市においても明治期に和風の武徳殿が建築 されている。こうしたことから考えると、鉄筋コンクリート造とはいえ、瓦屋根を持つ武道場を和風意匠でまとめることは自然なことと考えられる。
  半田中学校武道場の意匠を見ると、妻壁意匠として盲連子窓(注6)を採用している。外側に浮き出た柱壁と瓦屋根が相まって、RC造の建物であるが、真壁造りの印象を与えることが でき、和風の感じを強めている。
  半田中学校武道場の場合、柱壁とは別にコンクリート製の竪樋が東側と西側に、それぞれ2か所ずつ取り付いているが、岡崎師範学校武道場の場合、コンクリート製の竪樋に加え、樋 の役割のない装飾的な付柱が外側に取り付いている。さらに、西尾中学校武道場となると、コンクリート製の竪樋に加え付けられた、付柱の柱頭などの装飾が凹凸のあるアール・デコ 風になり、より強調されている。
  3つの武道場を比較した限りでは、半田中学校武道場の装飾が少なく、岡崎師範学校で付柱的装飾が多くなり、西尾中学校になると、柱頭の飾りでは、左右と前後に階段状に変化させ て、アール・デコ風となっていること、欄間部分には、装飾パネルを入れていること、床下換気口に縁取りを加え、中に曲面状のものを押し込むなど、細部装飾が個性的になっている。
  こうしてみると、3つの武道場の意匠は、基本的に同じであるが、細部の意匠面で、それぞれ特色のあることがわかる。その中で、半田中学校武道場は、武道場に相応しい和風的色彩 となっていると言える。

半田中学校IMG_0188
東側の天井を見る
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北側の天井裏
岡崎師範学校IMG_5040
北側の天井を見る
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混合トラスの金具
西尾中学校IMG_5127
南西側の天井を見る
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混合トラスの金具

 

(5)新美南吉と半田中学校
  半田市は、童話作家・新美南吉(1919~1943)の生まれ、育ったところである。平成25年には、南吉生誕100周年であった。新美南吉は、大正15年4月、半田中学校に入学し、昭和6年3 月に卒業している。つまり、彼の青春は、開校直後の半田中学校(現在の半田高等学校)のキャンパスで繰り広げられており、その意味でも南吉にとって思い出深い学舎であったと言 えよう。また、彼は中学時代から童話を書き始めたというから、ここは南吉の童話の誕生の場所でもある。
  愛知県半田中学校(現在の愛知県立半田高等学校)からは、多くの先達が卒業しているが、南吉を含め、こうした先人を偲ぶことができる場所であり、学校の歴史を物語る歴史建造 物である。

7 愛知県半田中学校(愛知県立半田高等学校)武道場のまとめ
(1) 愛知県立半田高等学校は、大正8年に開校した愛知県立第七中学校に始まるが、その時、新校舎が着工された。しかし、校舎完成前の大正11年5月より、愛知県半田中学校に改称され ることになった。こうしたことから、大正13年3月に竣工した武道場は、愛知県半田中学校武道場となる。愛知県内の旧制中学校(実業高校などを含む。)では、武道場が造られたが、 その中で、半田中学校武道場は、愛知県内に、現存するRC造の武道場の中で一番古いものである。
(2) 設計は、愛知県営繕課(足立武郎技師)、施工は、土井組(土井新太郎)とされる。
(3) 大正期のRC造建築という初期のRC造建築であることから、勾配屋根(瓦葺きなど)、基礎と躯体がRC造、小屋組はトラスという側鉄筋コンクリート造となっている。
(4) 小屋組のトラスの合掌は、木造で、緊結用に金物やボルトなどが使用されている。一方、梁・束・水平ブレースとしては、丸綱が使用されており、木と丸綱の混合トラス構造となっ ている。このように半田中学校武道場の建築構造として、近代の建築技術が要所に使われている。
(5) 半田中学校の武道場の平面は、単純な短形で、主要な出入口は西側中央の1か所だが、サブの出入口を含め、複数の出入口がある。採光のため、引違い窓を四方に回している。
(6) 他の武道場と比較して、半田中学校の武道場の平面規模は、小規模であるが、コンパクトなものとなっている。
(7) 半田中学校の武道場は、明治期までの伝統的な木造武道場に見られるような天井を張った伝統的な形式にならったものと考えられる。
(8) 武道場の配置や天井があることなどから、半田中学校武道場は、その後の新しい武道場(岡崎師範学校と西尾中学校の武道場)へ移行する中間的な存在となっており、建築の発展を 考える上で、重要な意味を持つ建築となっている。
(9) 現存する3つのRC造の武道場は、盲連子窓を使用するなど、和風的色彩があるなど、意匠上類似したところがある。しかし、時代が下る西尾中学校武道場では、アール・デコ様式を用 いるなど和風的色彩に新しいデザインが加わる折衷的なものになっている。
(10)半田中学校の武道場は、愛知県のRC造武道場の変遷を知る上で、貴重な建築である。
(11)半田中学校の武道場は、旧制中学校の中で唯一残る創設期の建物で、逐90年を超え、童話作家・新美南吉などが学ぶなど、歴史的建造物となっている。
(12)半田中学校の武道場は、部分的な改修があるものの、当初の状態を比較的良く保っている。

 以上、半田高等学校に現存する武道場(七中記念館)は、開校以来90年以上の歴史を持つとともに、近代の建築技術を使用した貴重な建築資産であり、保存する価値の高い建築である。
 なお、岡崎師範学校武道場は、現在、愛知教育大学附属養護学校の作業実習棟として使用され、平成25(2013)年12月24日には、旧愛知県岡崎師範学校武道場として、国の登録有形文化財の指定を受けている(注7)。
 また、西尾中学校武道場は、愛知県立西尾高等学校の武道場として、平成18(2006)年度に耐震改修工事が実施され、現在、西側半分は柔道場として、東側半分は剣道場として使用されている。


注1「半田高校の学校経営案」には、「半田第一尋常高等小学校を仮校舎として開校」とあるが、「愛知県立半田高等学校誌」には、「小学校の片隅にある幼稚園の6室を教室に、唱歌 室を職員室にあてる」とある。
注2 愛知県岡崎師範学校の武道場については、ヒヤリングから「剣道場として専用化していた」としている。しかし、当初から、専用化していたかどうかは不明である。「本学に残る 戦前建築物の歴史的検討と評価に関する研究」2003年
注3 岡崎師範学校や西尾中学校の武道場のトラスの木部と鋼材は塗装されているが、半田中学校武道場の天井裏のトラスのそれは塗装されていない。
注4 明治28年に大日本武徳会が設立され、全国に武徳会支部が設立された。各武徳会支部は、和風木造の武道殿を造っている。現存する京都武徳殿(明治32年)の場合、小屋組はトラス 構造で、格天井が張ってある。設計は、松室重光で、現在、国重要文化財に指定されている。戦前の武道場の場合、天井を張ることが多いようである。
注5 剣道場の試合場としては、9m~11m四方、国際柔道連盟試規程では、試合場として10m四方とされているので、剣道場・柔道場としては、ぎりぎりの広さである。天井の高さにつ いては、現在4.5m以上とされているので、やや低い。
注6 格子の間が空いていない連子が入る窓をいう。
注7 平成25年12月24日、旧愛知県岡崎師範学校武道場として、国の登録有形文化財の指定を受けている。指定の特徴として「外観は幾何意匠を表し、混構造トラスを採用するなど、先駆 的な意匠、構造を試みた優品」としている。

文1 創立記念事業実行委員会「愛知県立半田高等学誌」1980年
文2 創立記念事業実行委員会「愛知県立半田高等学誌」1980年
文3 「武道場及び矢場開き」『柊陵第2号』1924年
文4 「(半田高校)公有財産台帳」記載
文5 前掲書「愛知県立半田高等学誌」1980年
文6 前掲書「愛知県立半田高等学誌」1980年
文7 前掲「(半田高校)公有財産台帳」
文8 平成27年度施設台帳(知多地区)による。
文9 半田高校資料による。
文10 鯱光百年史編集委員会「鯱光百年史」1977年
文11 鯱光百年史編集委員会「鯱光百年史」1977年
文12 愛知教育大学歴史的建築物研究会「本学に残る戦前建築物の歴史的検討と評価に関する研究」2003年
文13 愛知教育大、小川正光他「本学に残る戦前建築物の耐震・材質の評価と活用方策関する研究」2007年3月



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